少しでも、居心地のいい場所へ、楽しいところへ向かって生きていきたいなぁ、と日々思っています。
それはきっと、今の場所に違和感を感じるから。息苦しさを感じるからだと思うんです。きっと同じ環境でも苦しくない人もたくさんいて。それはそれでいいと思うんです。その人自身がハッピーであれば。人生をどんなふうに選択するかはその人次第だと思うし、そこに対して意見を言いたいとは思わない。ただそこにいるのが居心地がいいのね、っていうだけ。
こんな風に考えるようになったのもきっかけがあって。生きていくうえで、自分自身や感情について理解することが必要だと感じて、自分の内面を見つめるセミナーに参加したのです。安い参加費ではなかったけど、長期的に見て自分に必要だと思いました。結果、それはすごく辛い作業でした。
見ないふりしていたことに直面したり、見えなかった自分が見えたり。それは今まで自分が選択してきた道を否定されるようなこともありました。私はそこで沢山泣いた。けれど自分をゆっくりと理解していきました。私はここに居続けたいのか、変わりたいのか。それを真剣に考えるようになりました。
そして、居心地がいいと思いこませていた場所、「普通の場所」、は本当は自分を苦しめていたと知った時、変化したいと強く思ったんです。
新しいことへの挑戦だったり、なにか自分の芯であるもの、軸であるものを変えて行動してみようと思うのは勇気、エネルギーがいることだと思うの。けど、「よし、方向転換するぞ。」、と思うことは大変でも、そこから先は意外と簡単だったりする。軸だって思ってることとか、これはこうあるべきっていう常識のようなものって、ほんとはそんな強固なものでもなんでもないことに気が付いたとき、変化に対する恐れがふっと軽くなりました。今がその状態です。
これが普通、こうあるべき、というものが本当に多くてしかも強い世の中で、そうでない自分を自覚したり、違う選択をしてみようと思うことは本当に難しいと思う。けどやっぱり、そこにいるのが居心地がいいか悪いか、私はそれが大切だと思うんです。苦しくて悩むよりは、生きやすくてハッピーなほうがいいもの。それをまずは自分が許せると、ほかにも許してくれる人たちがいたり環境があることを知ることができて。そこで生きてて楽しいなぁ、って思えることは本当に幸せだと思うんです。
自分の性癖についても私はそんな側面があると思っていて。けど自分を否定しないで認めてはじめて、ひろくんに出会うことができました。踏み出したら、見えている世界は優しくなったような気がします。受け入れて、受け入れられて、っていう感覚は、嬉しいものだなぁ、と日々思います。
性癖だけじゃなく、様々な側面で変化の過程にある私、毎日悩んだり楽しんだりしていて。SMっぽいお話ではなくなってしまいましたが、書きたいので書いてみました。こうやって再構築することが好きなんです。言葉にするのも。
自分が居心地がいい場所、とは。楽しいこととは。